真珠道~「首里 カーまーい」(その壱)
「島添坂」(シマシービラ) 4キロ続く「真珠道」(マダマミチ)の最初の石畳道、 ご覧の通りの急勾配。 国王が識名園に行幸する時のルートとしては使用されなかったそうです。 「日本の道」百選の一つ。 地名の由来は、「浦々を(地域を)支配する」という説があります。 シマシービラに続く石畳道が「カナグスクヒラ」(首里金城町石畳道) 沖縄戦による戦火を奇跡的にまぬがれた全長300mの貴重な石畳道、 屋敷囲いの石垣も残されていて、古都首里の屋敷街の面影が伝わります。 尚真王の治世に、首里と各地方を結ぶ道の整備が行われました。 首里と島尻地方を結ぶ道筋も整えられ、その一部がこの石畳道。 真珠道は、この後、カナグスクバシ、識名坂、識名、真玉橋を経て真珠湊(国場川河口:旧那覇港)に至ります。 当時、朝鮮半島・中国大陸沿岸地域で侵犯・略奪を繰り返していた倭寇(わこう)と呼ばれた海賊から那覇港を防備する屋良座森城(ヤラザムイグスク)と首里城を繋ぐ重要な軍用道路でした。 「真玉」とは、全ての物事を賛美して言う古語で、「真」とは、素晴らしいという意味だそうです。 「那覇まちま~い」では、この歴史ある石畳道「シマシービラ」「カナグスクヒラ」を歩く 是非ご参加ください! |